コンノアツシ@お味噌フィルハーモニーのゴチャゴチャ雑多煮

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我々はいつから手を上げることを辞めたのか?

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どうもこんばんわ

 

コンノアツシ@お味噌フィルハーモニーです

 

俺は秋田県のド田舎出身で、車がなければ生活できない車社会で生まれ育ちました。もちろん幼少期に手を上げて横断歩道を渡るという絶対的ではない曖昧な交通ルールを習った記憶はあります。しかし、横断歩道すらない道路がほとんどだった為、道路を横切って横断する際は、横断歩道の有無に関わらず、車の切れ目を右左右と目視で確認してから渡るという方法をとっていました。その頃には既に手は上げていません。

 

手を上げないのは大人になった今とて同じです。ましてや東京に出てくると、手を上げて横断歩道を渡るダサ坊なんていないだろ?という偏“かたよ”った感情を抱いていました。

 

ちょっとずつ日が長くなってきたとはいえ、17:30頃…。日勤を終えて帰路につく頃には、周辺は日が落ちて暗くなっています。

そんなある日、自転車を漕いで帰宅していると、手を真っ直ぐにピンッと上げて横断歩道を渡る女の子を見かけました。きっと年の頃からいうと小学校1〜2年生くらいのランドセルを背負った子。なんでもない街角の1ページなんですが、なんかグッとくるものがあって、くらっちゃいました。

 

その日の車通りは、俺が幼少期に過ごした秋田のド田舎よりも圧倒的に多かったです。

よくよく考えてみたら、手を上げて横断歩道を渡るという行為は、自分の身を守る為には大切な行動であり。事故にあってしまうリスクを回避しているということです。これは、万が一、自身が被害にあってしまった際に悲しむ大人がおり、そうならないようにするという行動でもあります。想像もしたくないことではありますが、大事に至ってしまった場合、身内はもちろんのこと加害者となってしまった運転手の人生にも亀裂が走りますよね?自分自身を守っている少女に、我々大人たちも守られているんだという風に思いました。俺今、大袈裟なこと言ってますかね?

自身の身にナニかが起こってしまった時に、たくさんの人が悲しむという未来を理解しているか?どうか?はさておき、その時に手を上げて横断歩道を渡っている少女に感動を覚えたんです。

 

そもそも、なぜダサいと思った?手を上げて横断歩道を渡ることで、たくさんの大人たちが救われているじゃないか!お前の中のダサいとかダサくないとか一端“いっぱし”の感情で、そういう物の量り方すんなよ!!と思ったんです。

 

同級生や同世代は立派に子育てをしています。子供が生まれたり育てたりする年齢です。俺が親になることがあったら、きっちりと危険回避ができる術“すべ”を教えられる親になろう。そうしよう。と心に強く誓ったなんでもない日でした。

 

 

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